知ってどうなるの?その生き方は?
こんな疑問に答えます。
この記事では
- 「足るを知る」の意味
- 「足るを知る」と資本主義について
- 「足るを知る」生き方で見えてくるもの
以上の3点について、「足るを知る」生き方を実践中のミニマリストが解説しています。
ぜひ、最後までお読みください。
足るを知るとは?
中国の思想家、老子の「知足者富」が語源で「足るを知る者は富む」、満足を知る人は人間的に豊かであるという意味です。
自分は何を持っているかを知ることが、真の豊かさであるということ。
仏教用語としては「少欲知足」が近い言葉です。
すでに今この瞬間、自分は満ち足りていると自覚する。「ないこと、持っていないもの」に目を向けるのではなく、「今あること、持っているもの」に目を向けます。自分の「すでにあるもの」を自覚していくと「感謝」の念が生まれてきます。
今の状況は成り行きもあるが、基本的にはあなたが行動して勝ち取ってきたもので、当たり前のものではないことを知る。ただし知るだけではなくてその状況に感謝し、利他の心をもって相手と接する。その心がけが周り巡って大きな富や充足感につながります。。
逆にいうと大きな富を得るには「足るを知り」、今の状況に感謝し、利他の心をもたなければならないということになります。
世の中の大ヒット商品は「世の人の生活を向上させたい」という利他の心から生まれています。その心意気でないと万人に刺さりません。
これを「自社だけ儲ければいい」としたら?利益率を考えて安い材料と人件費でプロダクトを作る。いかにも効果がありそうな宣伝文句を書き立てる。一部は騙せても、中長期的な売上を計上できず、「大きな富」を生み出せない。生み出せても、罪悪感や邪な心が生まれるでしょう。
資本主義は欲望が原動力
もっと良い暮らしをしたい
もっと欲しい
人間の欲望が今の時代、文明を築き上げる動機になっています。
しかし、欲望には際限がありません。物を買って、最初は高揚感があっても「当たり前」になり、また次を求め始めます。
自分の周りで「こんなにいい暮らし、十分な収入があるのに、満足していないなぁこの人」と思うことはありませんか?
自分の内側で不平不満を挙げ始めると、たとえ億万長者で経済的には日本の上位1%に入っていても、上はいるし、足りないところに目が向いて、決して満足しません。
では、経済的には平凡でも「足るを知る」を実践している人はどうでしょう?
今あるモノや人間関係に満足し、感謝できる。私心や邪な考えなく相手と接して、「この人に何かしてあげたい」という動機から積極的に動く。
それが大きな価値や差別化となり、周りから重宝される。大きな富だけではなく、相手からも「この人に何かしてあげたい」と思ってくれて動いてくれる。
欲望は大きなモチベーションになることも事実
かといって現状維持でいいのかというと、そうでもない。厳密にいうと、「足るを知る」の意味合いと少し違います。
現京セラやKDDIを設立した稲盛和夫氏の言葉を引用すると、
知足の生き方とは、けっして現状に満足して、何の新しい試みもなされなかったり、停滞感や虚脱感に満ちた老成したような生き方のことではありません。
(中略)
人間の叡智により新しいものが次々に生まれ、健全な新陳代謝が間断なく行われる、活力と創造性に満ちた生き方。イメージとしてはそういうものです。
稲盛和夫 『生き方』
しっかりと目標ラインを設定して落ち着くことや立ち止まることを意識する。その上で今の「何もない状況」から這い上がるために、物質敵豊かさを求めて邁進していくことも、「活力と創造性に満ちた生き方」といえるでしょう。
「足るを知る」生き方をしていくとどうなる?
先程の「利他の心」をもって相手と接する以外。
まずは欲や執着を手放すことで雑念や悩みが小さくなり、「今自分がしたいこと」「今優先すべきこと」などが見えてきます。
「過去や未来を見るな」とは言いません。しかし、それだけでは今の状況は変わりません。
過去の思い出話に花を咲かせるのみでは、「懐かしいなぁ〜」しか出てきません。そこから今の近況を話し合うことや「じゃあ、これから〇〇しよう」と提案ベースの行動がなければ現実は変わらない。
原始仏教では悩みは妄想です。頭の中で自分が作り出しているものにすぎません。現実には今しかないのに、過去や未来に執着しては、今がおろそかになってあなたの目標も達成できないといえます。
次にあなたにとって「本当に必要なモノ」が見えてきます。
それは物質的なモノはもちろん、大切にしたい価値観や幸福も含まれます。
モノで言えば、必要以上のモノ(ストックや必要としている機能以上の家電など)にお金を払わない。幸福でいえば、「何が自分にとって大切で、これだけあれば満ち足りる」と宣言できる。
自分の必要としているラインを知らなければ、更なる欲から満足することは決してないでしょう。
最後に、「意外と物がなくてもなんとかなる」ということを知ることができます。
- 子供や学生時代の「モノが少なくても生きていた時代」があること(「社会人で持たざるを得ない物」は意外と少なくないですか?)
- 今、毎日使っている物は何個あるか。(そんなに多くないのではないですか?)
- 100年前には冷蔵庫もエアコンもテレビもなかった。(実際コインランドリーなどで、持たなくても良いという選択肢はとれる)
この3つから判明します。
最低限必要なモノが分かっていれば、人に比べて所持品は少なくなります。そうすると、周りと比べて「なんとかなる」ことがわかります。
これは実際に「足るを知る」生き方を実践していなければ、分からない感覚なのが恐縮です。
「足るを知る」まとめ
「足るを知る」は幸福を感じる前提条件であると、個人的のは思います。
そもそも基本的に人生は「足りません」
- 時間がない
- お金がない
- 広い交友関係がない
例えば、上記。
有名な例にコップに水が半分入っている。
「水が半分しかない」
「水が半分もある」
心の持ちようであなたの世界が変わります。
ある社長は「10倍高いお寿司を食べたからといって、10倍美味しいわけではない」と言っています。100円の発泡酒で満足できれば、数万円の酒でないと話にならない人もいます。
自分が満足できるラインをきっちり把握して、幸福感を得ることが肝要です。
不平不満や足りない心で行動していれば、「何かしてくれ」「何かしてくれて当たり前」というマインドで人に接する。「くれくれ」と滲み出ているような人、売り出しているような人にあげるほど、人間は単純ではありません。
大きな富以前に良好な関係や利益を得るなら、「利他の心」で接することは必須。ぶん取ることでは物質的には豊かになっても、精神的には豊かになりません。
「足るを知る」の実践は難しい。嫌でも他人と比べて足りないモノが見えてきます。それでも「自分にはこれだけのモノがある」ことを自覚すると、僻みや嫌味が減ります。
ネガティブな感情とポジティブな感情、どちらで接するかで人との関係も変わってくるでしょう。自分は「足るを知る」から生まれる「利他の心」で人と接していきます。
では、また。