シャワーを浴びながら、ふとアイデアが浮かんだことはないだろうか。電車の窓の外を眺めているとき、急に昨日の会話の意味がわかった、という経験はないだろうか。何もしていないように見えるその時間に、脳は静かに、だが重要な仕事をしています。
何もしない時間に働く脳の仕組み
2001年、ワシントン大学の神経科学者マーカス・レイクルらは、脳が特定の課題に取り組んでいないとき、ある一連の領域が連携して活発に動くことを発見した。この状態をデフォルトモードネットワーク(DMN)と呼ぶ(Raichle et al., 2001, *Proceedings of the National Academy of Sciences*, 98(2), 676-682, DOI: 10.1073/pnas.98.2.676)。
「デフォルト(初期設定)」という言葉が示すように、これは脳が外の課題から解放されたときに自然と戻る状態です。かつて脳科学の世界では、何もしていない脳は不活発と考えられていた。
だがこの発見は、その前提を覆した。ぼんやりしているとき、脳は休んでいるのではなく、別の仕事をしている。
DMNが担う役割
DMNが活性化しているとき、脳の中では大きく3つのことが起きていると考えられています。
1つ目は、記憶の整理と再編集。その日に経験したことや蓄積された情報が、ぼんやりした時間のうちに整理され、互いに結びつけられる。この処理があってこそ、翌日に「あ、そういうことか」と気づきやすくなる。
2つ目は、未来の予測やシミュレーション。先のことを想像する、誰かの気持ちを推測する、選択肢を頭の中で比べてみる。そういった内的な思考は、DMNが動いているときに行われやすい。
3つ目は、自己との対話。自分が何を感じているか、何を大切にしているかを静かに振り返る時間は、自己理解の基盤になる。これが十分に機能しないと、自分の感情や動機がぼんやりとする。
スマホが奪うもの
集中して目の前の問題に取り組む。ぼんやりした状態で、内省や振り返りをする。どちらか一方が優れているのではなく、両方を使い分けることが思考の質を保つうえで重要です。
だが現代の生活では、このバランスが崩れやすい。隙間時間にスマホを開けば、脳はすぐに何かの情報を処理し始める。DMNが動き出す前に、次の刺激が入ってきます。常時接続の環境に慣れた脳は、「何もしない状態」に戻る機会をどんどん失っていくでしょう。
脳が消費するエネルギーの多くは、外からの課題に対応しているときではなく、この安静時の内的活動に使われているとも指摘されている。それほど、DMNの働きは脳にとって基礎的といえる。それを埋め尽くす代償は、すぐには見えにくいが、蓄積していくでしょう。
生産性を高めようとするほど、遠ざかる
何もしない時間を「もったいない」と感じる感覚は、生産性や効率性を重視する現代では自然なものかもしれない。だがその感覚が、脳にとって重要な処理の時間を削る面もある。
ここまで読んでくださったあなたなら、アイデアが移動中や入浴中に浮かびやすいのは、単なる経験談ではなく、脳の構造的な特徴に支えられた現象と理解していただけるのではないでしょうか。
効率を追い求めるほど、情報をインプットし続けるほど、この処理の時間が圧迫される。新しいものが入る余地は、既存のものが整理されてはじめてできる。よって何もしない時間は、生産性の敵ではなく、思考の質を支える土台として機能している可能性がある。
意図的に、ぼんやりする
何もしない時間を確保することは、怠けることではない。ただし、スマホを置いてボーっとすることに、最初は落ち着かなさを感じる人も多い。それ自体が、DMNを使う機会が減っていた証かもしれない。
散歩する、窓の外を眺める、何も見ずにコーヒーを飲む。そういう時間の積み重ねが、脳の内的な処理を助ける。特別な方法は必要ありません。ただ、何もしない時間を「無駄」として排除しないことが、最初の一歩になるでしょう。
参考文献
Raichle, M. E., MacLeod, A. M., Snyder, A. Z., Powers, W. J., Gusnard, D. A., & Shulman, G. L. (2001). A default mode of brain function. *Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America*, 98(2), 676–682. https://doi.org/10.1073/pnas.98.2.676